昨日の夕方、ベランダから見えた夕陽に映る富士山です。写真はピンぼけですが、実際はキレイでしたよ〜。
今日は自戒を込めて書きますが、ふと朝思い浮かんだ「幸せの代用品に執着しない」というお話です。
僕たちは、よく「〜があったら(あるから)幸せ」と考えてしまいます。
〜には無限に何かが入りそうですね。お金・地位・名誉・評価・承認・つながり・パートナー・家族・友人・仲間・ペット・洋服・美・健康・旅行・レジャー・スポーツ・趣味・ゲーム・ギャンブル・SNS・セミナー・交流会・宗教・食べ物・飲み物・嗜好品・健康食品・薬物・家・洋服・買い物・仕事・能力・資格・達成感・感動。。。
僕自身も、この大半は大好きです。(*^^*)
ですから、これらに喜び、追い求める気持ちはよくわかります。
しかし少し、いやとっても気をつけないといけないなあと思うのは、これらはすぐに「執着・依存の心が生まれる」ということです。
自分がそれに執着・依存しているかどうかは、「それがなくても幸せか?」で考えてみるとよくわかります。
例えば「お酒が好き」は正常ですが、「お酒がないと生きていけない」ならば、これは立派なアル中であり、依存・執着している異常な状態ですね。
でもアル中やギャンブル中毒などはわかりやすい例ですが、僕たちはほとんどの誰もが「何らかの対象に依存・執着・中毒になっているもの」です。
電車に乗っていても、街を歩いていても、「SNS中毒やゲーム中毒」の人だらけです。
スマホでゲームの画面を見ながら街を彷徨っている人を見ると、アル中で街を彷徨っている人と何が違うのだろうかと思ってしまいますね。(笑)
そして、ある対象に執着・依存してしまうことで、膨大な時間とお金とエネルギーを浪費してしまい、そして「時間をなくし、お金をなくし、心身ともに疲れる」という状態に陥ってしまうのです。
そして何よりも大きなリスクは「『自分の人生で本当に大切なこと』に充分な時間・お金・エネルギーを使っていない」という状態になってしまうことです。
この状態を、ロンドン・ビジネス・スクール教授だったスマントラ・ゴシャール氏は「アクティブ・ノンアクション」と名付けました。つまり「日々、忙しく動き回っているが(=アクティブ)、実は大した価値あるものを残していない(=ノンアクション)状態」のことです。
ちなみに僕は、高校時代は友人たちとインベーダーゲーム、大学時代は友人たちとコンパ・サークル・バイトに明け暮れましたが、何一つ価値あるものは残せていません。(汗)
そんな状態に陥らないためにも、「幸せの代用品」に執着・依存するのを辞めて、「『自分の人生で本当に大切なこと』に充分な時間・お金・エネルギーを使う」という意図的な生き方を選択したいものです。
自分は、ふと考えてみると何に執着・依存していますか?
『自分の人生で本当に大切なこと』は何ですか?
今日という1日が、皆さまにとって最幸の1日でありますように。感謝・合掌